なぜ木造なのか

木造非住宅(一般的には非住宅木造と呼ばれますが、言葉の最初に“非”と付くのは個人的に好まないので、このように呼びます)について世の関心が高まるのはとてもよいことだと思いますが、多くの人が思い立ってすぐに行動に移せることではありません。ですので、私たちもこうやってホームページなどでその「意義」について話す必要が生じます。ではその「意義」とはなんでしょうか。

私たちは日々の買い物をする際に、その「質」と「量」について考えます。これらのバランスがよいとお値打ち感がでて、よい買い物をしたと満足するでしょう。ですが、この質と量以外にもうひとつ大事な要素があります。それが「意義」です。質と量が個人的な満足感を与えるのに対し、多くの場合、意義は社会に与える影響についても考察されねばなりません。

 

たとえばこういった具合です。

個人であるあなたが木の家を建てようとする際に、どこのハウスメーカーあるいは工務店、設計事務所に仕事を依頼するか迷ったとします。そういう場合に、どの会社が地元の木を使って設計あるいは施工しているかを聞いてみればよいでしょう。木の家を建てる工務店は山ほどありますが、県産材を使うとなると話は別です。なぜなら、その方がコストがかかりますし、それを実現するための流通や木材の品質にまで踏み込んで仕事をしている会社はゼロに近いからです。ただでさえ建設価格が高騰し、日々の仕事に忙殺されるなか、そのようなことをする会社(人)がどれだけいるでしょう。そこで「意義」が大切になってきます。やはり問題になるのはコストです。ですが、皆さまも経験があるかもしれませんが、少々他より高くついても買ってしまう商品というものがないでしょうか。日常品である服であれば、環境に配慮した製造方法を採用し、その服づくりに関わるデザイナーや工場労働に従事する方々の権利や待遇に配慮しているブランドを買うことにしている人はいるでしょう。私は服には詳しくありませんが、パタゴニアなどはその代表的なブランドとして知られているはずです。単にコストや利益だけでなく、それが社会に及ぼす影響にまで考えを巡らせた企業活動を常に行っているのひとつでしょう。住宅や建築を建てる際にもそのような視点を持つことで、あなたはその消費に対して高い満足感を得ることができるのではないでしょうか。それが「意義」です。

 

もちろんこういったブランドの消費は高価であることがほとんどです。それは単に広告費をたくさん使っているからというだけではありません。製造工程において、劣悪な環境で労働をさせず、従業員に適切な賃金を払うといったことを守ると、どうしてもコストは上がってしまうものなのです。建築においても同じことがいえます。世のなかにたくさんある安さを売りにした服のなかでも極端に安いものについては、スケールメリットだけではなく、弱者を搾取することで成り立っているという言説は説得力のあるものです。ですので、手入れしながらも長く着れるものを買うのが結局は“安くつく”し、満足感も得られる消費行動と言えるでしょう。車や食品も同じです。

食品は、旬のものを食べるのがよいでしょう。なぜなら、そうでない野菜やフルーツはなんらかの操作のうえで、スーパーに届けられているからです。できることなら産地が近い食品を買えば輸送分の環境負荷が小さくなります。やはり気をつけなければいけないのは、これも極端に安価な食材はなんらかの理由があることも推して知るべきです。

ただむずかしいのは、経済的に恵まれていなければ安い服や食品を買わざるを得ないので、結果的に同じような貧しい人が作った服や食品を買わざるを得ないということです。それは間接的、直接的に労働者を搾取し、されるということです。ですので、安い食品を買ってはいけない、または安い家を建ててはいけないということは私からは言えないのですが、各々が自分のおかれている状況に応じてできることをやってみるのがよいと思います。

 

それから私たちが持っているもので最大に価値のあるものとして「時間」があります。それをどのように使うかは、まさに意義そのものと言ってよいでしょう。このことが今、経済活動に大きな影響を持つようになっています。企業であれば経営者、自治体であれば責任のある立場の人たちは、いかに質の高い人材を集めるかに腐心していると思います。私自身、他人ごとではなく、どの企業でもそこで働きたいという人がいなくなれば存続することはできません。逆に言うと、本来求められるはずのない企業が存在し続けるのは、そこで働く人たちがいるからです。

今に始まったことではありませんが、単に報酬だけで職場を選ぶ人で会社が構成されているわけではありません。働く人のことを考えてくれているか、事業内容に賛同できるかということを気にかける人が増えています。結果として、意義のある経済活動をしない(できない)会社には優秀な人材は集まらないという現実が待っています。そこでは、先ほど例に挙げた搾取の構造がまかり通っているかもしれません。

 

私は、自分が時間を割いて何らかの行動をする際には、そこに「意義」があるかを考えます。生きるために必要なお金はある程度稼ぐことができているので、そこからさらに考えや活動を広げるには、意義が見いだせるかどうかを判断基準にしています。皆さまもそのように自らの活動内容を見直していけば、集団もそれに合わせて変化していくのではないでしょうか。

とはいえ、置かれた立場や環境は人それぞれです。そうしたくでもできないということも当然あるでしょう。そういう場合は、ご自身が働く価値があると思う企業で、副業としてアルバイトのようなことをしてみるのもよいかもしれません。人手不足の時代です。そのような人は歓迎されるのではないでしょうか。

つまり意義とは、「お金と時間の使いかた」です。私たちがお金と時間の使い道について、価格・質に意義を加えたなら、社会、少なくとも建築業界は日本の木の技術を大切にし、それを使って建物を建てるようになるのではないでしょうか。