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金閣寺

輝かしくも隠微な風情

昨年末に、こけら葺き屋根の改修工事を終えた金閣寺を訪れた。

ほんとうは、寒中雪の舞うなか、雪化粧をした幻想的な金閣をカメラに収めたかったのだが、その日は気温17度もある小春日和であった。

朝のうちに、神戸の自宅から愛車を走らせ、1時間半ほどで金閣寺近くまで到着。まずは鯛めしで軽く腹ごしらえして、金閣へ向かう。

建築家 金閣寺 平賀敬一郎

金閣寺(舎利殿)は、その特異な構成でもよく知られる。三層すべてが異なる様式であり、暗褐色で抑えられた一層目とは対照的に、軒裏にまで貼り込まれた金箔で黄金の輝きを放つ上の二層は、最上部に行くに従い、より繊細で、曲線を多用した優美な様式へと変化していく。その様が境湖池に映り込み、またその水面のゆらぎが、金閣の庇の裏側から壁面をより明るく照らし出し、まるでこの楼閣には陰影が存在しないかのようだ。しかし、この黄金色のゆらぎ、そして上層に移るにつれ軽やかに、細やかに変化するさまは、この建築物の重量を消し去り、危険なまでの軽やかさを獲得するのに一役買っている。それは、あらゆる思念を蹂躙する残酷なまでの美とも言える。

建築家 金閣寺 平賀敬一郎

私は、この金閣寺を観る時、あるいはその存在に想いを馳せる時にこそ、建築の美を想う。それは私にとって、とても限られた体験だ。なぜだかはよく分からない。ただ私の心の琴線に響く。美しい。建築は美しく朽ちるべきであるが、この楼閣には、朽ちるという事実さえ存在しないかの如くだ。
圧倒されるというでもない、どちらかというと、淡々とした平時の心で眺めている。


何枚か写真を撮り、境内を順路に沿って散策する。斜面を登り、小高い休憩所のようなところに出る。そこに茶室「夕佳亭」がある。金森宗和好みと伝えられている。
舎利殿と同じく、こけら葺きである。内部に入ることはできないが、どうやらこれも、少し変わった構成である。斜面に沿い連なるように建っている。文献でなら特徴を把握することは叶うが、やはり一度中に入ってみたいと思う。


散策していると、ちょうど良い頃合に休憩所が現れた。お茶菓子が楽しめるようなので、さっそくお勘定を済ませて席に着く。コロナ禍である故、まだ人出がまだらであるが、この陽気に誘われたのであろうか、散策する人もいる。思えば、この美しい建築物を、これ程ゆっくりと鑑賞できる機会はもう二度とないかもしれない。
そんなことを思ううちに、茶菓子が出される。抹茶はわりとあっさりとした味わいであったが、お菓子がとても可愛らしくて、思わず笑みがこぼれる。白く四角く整形された和三盆の表面に金閣が刻印され、金箔が2枚散りばめられている。なんとも愛くるしく、気の利いた意匠だ。

金閣寺 建築家 平賀敬一郎

茶菓子をいただき、境内を後にした。帰りの高速道路もクルマの量はまばらで、とても快適なドライブとなったが、道中やはり私の頭の中にあったのは、あの黄金色の楼閣の美しさ、そして妖しさであった。このような感覚を抱かせる建築物は、おそらく金閣寺だけであろう。三島由紀夫の作中にあるような、美の不条理を思わずにいられない。
だが、時折鑑賞するだけでは、この建築にそれほどの破壊力はない。もっと長い年月をかけて、意識の底に語りかけてくるのだろう。そして、あの小説の主人公のように私はもう若くはない。そのような鋭敏な感受性は、とうに失われている。

ふと気になることがあった。黄金色に輝く金閣寺、そして、その映り込むさまも見事な鏡湖池。そこに泳ぐコイは黒いものが多い。お粗末ながら一句読んでみることにした。

黒い鯉 金色であれ 金閣寺