· 

“おとな”が集って住むには。。

コーポラティブハウスのすすめ

コーポラティブハウス

最近アフターコロナとかそんなことばかり書いていたのと、緊急事態宣言が半分過ぎたが、だいぶ疲れやストレスも溜まってきたので、ちょっと一息ついてもう少しスタンダードな家づくりについて書いてみたい。

 

と言っても、タイトルにあるように今回の対象は“おとな”に限られる。この場合の“おとな”は私(1973年生まれ)のような中年以降の年代を指す。

つまり、これからの生活の希望に胸を膨らませた若い人ではなく、ある程度先の見えた人たちだ。さらに、何らかの理由で住宅を取得し損ねた、或いは住まいを所有しているがこの先もその家に住むつもりがない、という人たち。

 

なぜそんなパッとしない話をするかというと、私のまわりにはそんな悩みを抱えた人たちがいるからだ。他人事ではないとういか、むしろ自分のことだ。

 

一般的に“終の棲家”と言えば、利便性の高い都心部にコンパクトなマンションを購入するとか、子供の巣立った後の家をリノベーションして住むとかをイメージするだろう。

ただ、これでは少々味気ないというか心もとないというか、所詮自分の世帯だけで完結してしまって拡がり感がない。もう少し楽しそうなプランを描けないだろうか。

 

自分の世帯だけで完結してしまうから“楽しくない”のなら、自分と同じような価値観を共有する“おとな”を集めて住めば楽しいのではないか。それを実現してくれるプランがある。「コーポラティブハウス」だ。

 

通常のマンションが、デベロッパーが取得した用地に法規制ぎりぎりいっぱいまで建てた一棟の建物を自らが投じた資金に応じて区割りされた部屋を専用部分として所有するのに対して、“コーポラティブハウス”とは、入居希望者が集まり組合を結成し、その組合が事業主となって、土地取得から設計者や建設業者の手配まで、建設行為のすべてを行う形式の集合住宅のことだ。

 

要は、分譲マンションは出来上がったものを買う既成品であり、“コーポラティブハウス”はマンションでありながら建物コンセプト、デザイン、間取り、共有スペースの運用までオーダーメイドできる特注品なのだ。

 

そこに気の合う人たちと住むことができれば楽しいのではないか。そこで、タイトルの「おとな」であることが関係してくる。排他的と言われるかもしれないが、ある程度同じような属性、趣味嗜好、生活レベルの人が集まって住まなければならない。

分譲・賃貸マンションは購入価格や賃貸価格がだいたい同じようなレベルなので必然的にその社会的地位や年収などは同じような属性となるかもしれないが、趣味嗜好や人間の“レベル”はコントロールできない。お金さえ出せば住めるからだ。

 

それに対し、コーポラティブハウスは土地や建物以前に有志による組合が前提となるので、仲の良い人同士でしか成立しない。もちろん仲が良いと言っても、“親しき中にも礼儀あり”をわきまえた人たちでなければならない。

価値観もある程度共有できないとだめだ。つまり、その集合体に迎え入れられるにふさわしい社会的地位、教養、マナーを身に付けていなければうまくいかない。一般的な分譲マンションのように希薄な人間関係のまま過ごすことができないのだから。

 

そのかわり、そういう人がまわりにいるか、集めることができれば素晴らしい中高年期を過ごせるのではないだろか。

自分たちの価値観に合ったライフスタイルを思い描き、それを実現できる土地を探して購入し、この人ならと信頼できる建築家に設計を依頼する。通常だったらこだわることができないことに意見を言うことも可能になる。猫好きのコミュニティなら犬を飼う人はそのプロジェクトには参加できない。つまり犬が苦手な人はそのことで悩まなくて良いのだ。

 

共用スペースも充実させることができる。娯楽や語らいの場が欲しければ最初から作ってしまえば良い。ビリヤード台を置こうが、バーにしようが好きにすればよい。自由だ。クルマ好きが多ければガレージハウスのように住人それぞれに専用のインナーガレージを用意すれば極上のカーライフが送れるだろう。

 

子供がいない、あるいは子供が巣立って離れたところに住んでいる世帯が中心となるだろうから集まって住むのはなにかと心強い。老人ホームに入るより気持ちを若く保てそうだ。

 

少し自分の老後にも希望が持てそうな気がしてきた。今日はこれくらいにしておこう。


コーポラティブハウス|集合住宅|EV||平賀敬一郎|注文住宅|アフターコロナ|ポストコロナ|建築家|ガレージハウス